靖国神社における「零戦の会」慰霊祭の紹介

寄稿 千鷲会 吉岡 敏博

今夏9月13日、靖国神社における「零戦の会」の慰霊祭に行ってきました。 「零戦の会」の前身は、元海軍戦闘機搭乗員で作られた「零戦搭乗員会」です。この会は平成14年、会員の高齢化により解散し、新たに搭乗員ではない一般の有志も入れて、新しくNPO法人「零戦の会」として再出発したものです。勿論、元気な元搭乗員の方々は出席されます。  大東亜戦争緒戦の真珠湾攻撃やミッドウエー海戦を戦い、戦争中期は、南方の諸作戦を戦い抜き、戦争末期には、本土爆撃・戦爆連合の敵機迎撃で奮戦しつつ、究極の作戦「特攻」では、500キロ爆弾を抱いて出撃の所謂(いわゆる)「爆装」での離陸、それは「絶対の死」を以(もっ)てする作戦であり、出陣した海軍戦闘機隊搭乗員は、ひたすら祖国を守って英霊となられました。そして、その御霊(みたま)は靖国神社に祀(まつ)られているのです。その英霊に対する哀悼の誠を捧げるため、私は「零戦の会」の一員として毎年9月13日には靖国神社の慰霊祭に出席しております。  私が「零戦の会」に入会した動機は、あれは19年半前の平成8年5月24日に行われた2空団幹部講話で千歳基地に招へいされた元零戦パイロットで伊丹市在住の笠井智一氏との再会でした。笠井氏とは以前から交流がありました。私が浜松・1空団修理隊エンジン小隊にいた時の上司で結婚する時の仲人でもあった 故 仲 睦愛 氏が、笠井氏とは共に海軍最後の戦闘機隊・源田 実大佐率いる343空第301航空隊の搭乗員で、最強迎撃戦闘機「紫電改」を駆ってB29の迎撃、そしてF6FトムキャットやP47サンダーボルト戦闘機との死闘に命を賭けられました。その様な関係と笠井氏の勧めもあり「零戦の会」に入会した次第です。

靖国神社

みなさん、靖国神社の昇殿参拝をした事がありますか、よくテレビ報道で国会議員、特に内閣総理大臣の昇殿参拝がクローズ・アップされますが、あれは神社の最奥の本殿からの廊下です。礼拝は先ず本殿前の拝殿に全員が参集し、ここで礼拝の説明と国家斉唱を行います。それから、本殿への廊下を進むわけですが、ここまで来ると、体に異様な霊感を感じ、とても厳粛な感覚となります。重々しい階段を上り詰め本殿内に入り正座すると、国難に立ち向かい尊い命を捧げられた英霊の御霊を身近に感じ涙がにじみます。  国際儀礼として、国家元首がその国を訪問したら必ず国に殉じた兵士の墓に詣でて花束を捧げますね・・・これは国家体制や主義や宗教に関係なく訪問国への儀礼として行われているものです。まして、その国の元首や政治家が、殉国の英霊が祀られた自国の社に参拝するのは当然のことなのです。  千鷲会の皆様も若かりし頃、日本の防衛に心血を注ぎ、身を捧げる覚悟もあったと思います。今後、次期ラグビーワールドカップや東京オリンピック等、首都圏で開催されるイベントは幾多もありますので、少し足を延ばして靖国神社に参拝して頂ければ幸いです。

靖国神社 (引用:ウィキペディア/ja.wikipedia.org/wiki/)

〜社頭掲示の遺書集から〜

    靖国の社頭でお目に懸りましょう
 生を享け二十二年の長い間、小生を育まれた父母上様に御礼申し上げます。
小生の身体は父母のものであり、父母のものでなく、陛下に捧げたものであります。      〜中略〜
   父さん 大事な父さん
   母さん 大事な母さん
 永い間、色々とお世話になりました。 好子、寿子をよろしくお願い致します。  靖国の社頭でお目に懸りましょう。では参ります、お身体お大事に。
              海軍少佐 永尾  博
              神風特別攻撃隊第3草薙隊
    昭和20年4月28日 沖縄近海にて戦死 22歳 佐賀県出身
     靖国神社で会いましょう
 咲くもよし 散るも又よし 櫻花
 父母上様、喜んで下さい。 勲はいい立派な死に場所を得ました。今日は最後の日です。皇国の興廃この一戦に在り、大東亜決戦の南海の花と散ります。    〜中略〜
 父母上様、今度白木の箱で帰ります。靖国神社で会いましょう。長い間有難うございました。
                             勲
     父上様
     母上様
              海軍少尉 松尾  勲
              第二神風特別攻撃隊義烈隊
昭和19年10月27日 ルソン島東方にて戦死 24歳 長崎県出身
     兄は桜の木に咲いて居る
  節子殿
   兄は神風特別攻撃隊の一員として明日敵艦と共に、我が愛機雷撃機天山に特攻用爆弾を抱きて命中、男一匹玉と砕け散るのだ、最後に臨み一筆書遺し置く事あり。節子も今では立派な可愛い女学生となったことであろう。兄は、節子の女学生姿が見られずに死んで行くのが残念だ                     〜中略〜
 兄は、常に九段の社の桜の木の枝に咲いて居る。裏の元屋敷の桜の木にも咲きますよ、桜が咲いたら兄だと思って見て下さい。  さようなら、母上をお願いします。     出撃前夜      兄
親愛なる妹 節子殿
              海軍少尉 服部 壽宗
              神風特別攻撃隊「菊水部隊天櫻隊」
 昭和20年4月16日 南西諸島方面にて戦死 19歳 三重県出身